【白糸台駅】戦争の悲惨さを語り継ぐ「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」を解説!

 白糸台駅(しらいとだいえき)は、東京都府中市白糸台二丁目にある西武鉄道多摩川線の駅です。
 その歴史は、1917年(大正6年):多摩鉄道の北多磨駅(きたたまえき)として開業、その駅名は、当時の所在地名の北多摩郡にちなんだものです。
 その後、西武鉄道に買収され、2001年(平成13年):隣の多磨墓地前駅が多磨駅に改称したことに伴い、それより南にある当駅は混乱防止のため、現在の所在地名にちなみ白糸台駅に改称しました。

 駅から徒歩約7分には「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」(きゅうりくぐんちょうふひこうじょうしらいとだいえんたいごう)があり、戦時中(太平洋戦争末期)に、空襲から戦闘機を守り、隠しておくための格納施設、つまり飛行機の防空壕としてとして造られました。
 旧陸軍調布飛行場の周辺には、計130基もの掩体壕が設置されたましたが、ほとんどは戦後に取り壊され、現存しているのは、府中市と三鷹市に2基ずつ、計4基が残っているだけで、非常に貴重なものです。
 府中市は、2007年(平成19年)の平和都市宣言20周年を迎えた際に、戦争の悲惨さを語り継ぐ貴重な歴史遺産として掩体壕を保存するため、白糸台2の17にある掩体壕を市有地化し、その後、構造を確認するための調査などを経て、2008年(平成20年)に、市指定文化財に登録しました。

 市指定文化財【旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕】

 駅から徒歩5分にある「上染谷不動尊」は、国指定重要文化財の「銅像阿弥陀如来立像」が安置されています。
 背中の銘から、1261年(弘長元年)に、上州八幡庄(群馬県)の友澄入道によって鋳造されたもので、毎年、東京文化財ウィーク期間中の11月3日(祝)に一般公開が行われていました。
(※注 現在における開催有無は、府中市に確認ください)
 上染谷の由来は、現在の白糸台地域が、江戸時代には上染屋村、下染屋村、車返村と称されており、車返村の古名を白糸村といわれたことからきています。
 なお、染屋・白糸という地名は、その名のとおり製糸や布染めに由来するようです。

【上染谷不動尊】

 駅から徒歩2分にある「白糸台中央公園」は、駅前の施設の合間を縫うように整備され、複雑な形の公園は、駅前であることが感じられないような穏やかさをたたえています。
 道路とは低木で隔てられた園内には、ベンチと藤棚、簡単な遊具があるのみで、園地の大半を占めるのは多目的広場で、開放感あふれる公園は、駅前広場の役目も担っています。

 【白糸台駅】

 【駅周辺図】

 【西武鉄道 路線図】

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