【田無駅】田無神社の創建について解説!

 田無駅は、東京都西東京市田無町四丁目にある西武鉄道新宿線の駅です。
 かつて、田無市があり、その地名は、1559年(永禄2年)の後北条家の文書に確認されたものが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かります。
 全国でも埼玉県蕨市、埼玉県鳩ヶ谷市(2011年に川口市に合併して同市に復帰)、東京都狛江市についで4番目に小さい市でしたが、2001年(平成13年)1月21日、保谷市と合併し、西東京市となりました。
 なお、田無駅については、1927年(昭和2年) – 西武鉄道開通以来、現在に至っています。

 田無駅北口より徒歩6分にある「田無神社」の創建は、鎌倉時代後期の正応年間(1288年 – 1293年)と伝わり、同社は田無北部の谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれ、龍神を祭神としていました。
 1670年(寛文10年)、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮が田無に遷され、1872年(明治5年)、尉殿大権現は熊野神社、八幡神社を合祀、田無神社と社名を改めました。
 その際、主祭神・大国主命と須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇をも祀り、現在に至っています。(引用:ウィキペディア

 田無神社と田無駅の間にある総持寺(そうじじ)は、真言宗智山派の寺院で、山号は田無山(たなしさん)です。
 その歴史は、元和年間(1615 – 1624年)、法印権大僧都俊栄和尚が、谷戸に法界山西光寺として創建し、
慶安年間(1648 – 1651年)、現在地へ移転したと伝えられています。
 江戸時代(1603 – 1868年)、尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていましたが
 明治8年(1875年)、西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建し、田無山総持寺と改称しました。

 北口から550mした場所にある東大生態調和能楽機構の農場(東大農場)は見学コースがあり、年間15,000余人が訪れるほど人気があります。

 【田無駅 北口】


 駅から徒歩1分の場所にある「アスタ専門店街」は、レストランやカフェからファッション、雑貨、生活に寄り添ったサービス店舗など様々な専門店が揃った商業施設です。2階センターコートでは、イベントなども開催しています。

 【各所案内】

 【西武鉄道 路線図】

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