【小手指駅】おすすめウォーキングコースをご紹介!

 小手指駅は、北側に小手指車両基地があることから、起点・終点とする列車が多く設定されています。そんな駅から、おすすめウォーキングコースをご紹介します。

 小手指駅を南に進むと、埋蔵文化センターがあります。同センターは、所沢市の歴史を知るうえで重要な資料である埋蔵文化財の保存を活用を図るため、埼玉県文化財収蔵施設に続く埼玉県内2番目の施設として、平成6年4月に開館しました。

 【埋蔵文化センター】(引用:所沢市ホームページ)

 更に南に進むと、小手指ヶ原古戦場があります。
 埋蔵文化財調査センターのある一帯は、「小手指ヶ原」と呼ばれ、今から650年以上前、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。
 上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333年)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり、5月22日に得宗の北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅びました。

 【小手指 ヶ 原古戦場】(引用:所沢市ホームページ)

 更に南に進むと、北野天神社があります。
 北野天神社は、物部天神社、 國渭地祇神社 、天満天神社の三社の総称で、
 物部天神社・國渭地祇神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が御東征(ごとうせい)の折に創建されたものと伝えられ、ともに延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
 天満天神社は、長徳元年(一条天皇の御代)に、京都の北野天満宮より、菅公(かんこう)の御分霊(ごぶんれい)を勧請(かんじょう)したと伝えられています。
 武家の信仰を集め、足利氏満・北条氏照・前田利家・徳川家康などの書状が残っております。
 また、室町時代初期の作品「北野天神縁起(きたのてんじんえんぎ) 七幅ななふく」は埼玉県指定文化財です。

  【北野天神社】(引用:同社ホームページ)

【小手指駅 南口】

【ところざわ ウォーキングマップ】

 【西武鉄道 路線図】

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